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3.5坪のインド料理店|コンセプト

too much india。その生い立ちはだいたい5年前に遡る。

トミーは日常に退屈を感じていた。
編集者を志望して出版社に就職するも、簿記の資格を持ってるという理由で経理部へ配属され電卓をたたき続けるルーティンな毎日。さらに大学時代から続けていたバンド活動は就職を境に動きがなくなりつつあった。楽しみといえば、入ったお給料を手にデパートコスメを買いに行くことだった。

今はtoo much indiaのカタワレとなっている かお a.k.a cowと体験したインド旅行は刺激的だった。それがきっかけで日本に帰ってからスパイスを買ってカレーを作ってみたりしていた。でも日常は相変わらず退屈だった。子供のころから「何かを作って発表する場」に身を置くようにしていたから。ある5月の天気がいい日、会社帰りに空を見上げながらトミーは思った。なんか面白い事ないかな~、あっカレー屋やったら楽しいのでは?

その日考古学徒のかおにその話をすると、長い長いテキストをしたため出した。タイトルは”too much india序章”である。

too much indiaという名は以前からかおの中にあったらしかった。なので突然その名前を告げられて驚きもした。

・・・

物事は口に出すと不思議と動き出すものだった。それからリバレスクの小瀬さんに相談して間借り営業をさせてもらったり、イベントに出店したり、カレー屋活動は少しずつ活発になっていった。

正直インドで本場のインド料理を食べた時は、ナンとバターチキン以外のインド料理を知ってるのなんて自分くらいだろうハハハという気持ちでいたのだが、後で知った日本のインドマニアの知識の凄さに恐れおののいたのはここだけの話。

飲食店で働いた経験はほとんどなかったので、間借り営業はドタバタしっちゃかめっちゃかで始まって、お客さんにも仲間にも本当にお世話になった。特に小瀬さんの助けがなかったら間借りは難しかったと思う。それでも少しずつ来てくれるお客さんが増えてきて、いよいよ実店舗を作っていこうという話になってきた。

シェアハウスのルームメイトに佐伯くんという人がいて、建築の仕事をしていたので店舗の設計をお願いすることにした。近所の行きつけの居酒屋串よしで打合せ。まずはどんなお店にしたいか、コンセプトを決めましょう。そこでかおが提示したのが、”too much india序章”、そして哲学者アルフォンソ・リンギスが自身の著書で引用していたニーチェの一節だった。

「人間の歴史全体を自分自身の歴史として感じ取ることのできる者は、普遍化の法外な力によって、ありとあらゆる悲しみを身をもって味わうのだ。…こうしたことすべてをついに一個の魂の内に抱え込み、一個の感情に詰め込むこと、これこそがこれまで人間が知らなかった幸福を生むに違いない。…こうしたものが現れたら、そのときこそこの神々しい感情をこう呼ぼうではないか、人間性、と。」

アルフォンソ・リンギス『暴力と輝き』より

現代思想や哲学の本をよく読む佐伯くんとかおは素晴らしい・・・最高・・・という共感を見せていた。トミーは正直ピンときてない。だからカレーとおいしいものが好きでこのブログに来たのに何言ってるかワカンナイという人も大丈夫。料理の作り手から離れたところで別の世界線が広がっているのもいいと思う。何回か読むうちにいい文章だなと思うようにもなってきた…

・・・ 

さて、長々と書いてしまってごめんなさい。今回の記事はコンセプトですね。お店を作るにも、なんでもまずブレないコンセプトを決めるのが大事であるそうです。

too much indiaのコンセプトは『一瞬のインド旅』

“too much india 序章”で語られている初めてのインドで体験した緊張感とワクワク感、見たこともない不思議な料理。私が100のレシピ採集旅行で持ち帰った料理との、お皿の上での対面。私たちの、誰かの、インドを旅したストーリーを追体験できる場所。そして旅の愛も悲しみすらも抱え込み、感じさせてくれる場所。それがtoo much indiaで表現したい姿です。

さらにサブコンセプトとして、ベジタリアン料理をメインメニューにします。

かおが肉を食べない食事をするため、too much indiaの料理はずっとベジタリアン対応で作ってきました。ベジタリアン料理は単なる制約ではなく、インド料理の深みを見せてくれます。インドはびっくりするような方法で野菜をおいしく料理するからです。そして私自身も、ベジという制限でどこまでおいしく面白い一皿が作れるか楽しんでいる所もあります。また名古屋はベジタリアン料理のお店が少ないので、他店との差別化をはかり個性としてアピールできると思います。

最後に、かおが書いた”too much india 序章”のテキストをここに残しておこうと思います。続編にも期待して。

 NGO発MUM行きの飛行機は1時間ほど遅れ、当初予定していたムンバイ-アウランガバード間を移動する電車の乗車時間に間に合わない可能性が生じた。空港に併設するチケットカウンターで480ルピーを払いタクシーで駅に向かう。タクシーが走る道路から見えるムンバイ郊外の景色は、旅する前のインドのイメージとは異なり、カラフルなネオンで輝く外資系ホテル群、ボリウッドスター達が映し出される数多くの液晶パネル広告が目に入り、驚くほど都会だ。と、ほうけたまなざしで見つめていたのも束の間、メインの道から細い道に入ると悪路が続くスラム街だった。そのスラム街の延長とも思える場所でタクシーは止まり、運転手は駅はあそこだと教えてくれた。急いで駅の窓口に向かう、やはり切符は買えなかった。そりゃそうだ、とっくに出発の時間は過ぎているのだから。
 今日移動できないことに焦りを感じる。そして今夜どこに泊まればいいのか、明日果たしてチケットを買えるのか、買えなければ、どうやって街から街へ移動すればいいのか不安がつのる。前半の目的地、エローラ/アジャンタの石窟寺院群に辿りつけるだろうか。
 駅のベンチに座り込み、計画が甘かった、そうじゃない、計画なんて始めから無かったんだと、途方にくれた。
 落ち着きを取り戻し頭をあげた瞬間、やっと視界が開き周りの光景に気付く。
(・・・)すえたにおいの中で薄暗い明かりで飾られた露店は縁日のように賑わっていた。そこで交わされる僕たちが知らない言語、また断続的に鳴らされ止むことのないクラクションは背景の雑音となり街の喧噪を露わにする。ぬるりとしたシャツの感触を伴う暑さは湿度のせいだけではない。列島を飛び立ち大陸に入り、ここインド亜大陸に現在立っているという実感から鼓動は高まり、体温の上昇をうながしたのだろう。
 僕たちは駅を出て最初に目に入ったもっとも信頼できそうな人にバス乗り場を尋ねた。ここをまっすぐいって、ほら、あそこを曲がったすぐのところがバス乗り場だと教えてくれた。乗り場前の切符売り場でバスの切符を買い、乗り込むとベッド風のフラットシートのみのバスだった。横になり、移動手段を得たことに安堵すると一層、街の喧噪に敏感になる。街はガネーシャフェスティバルの時期で、一際ざわめいているらしい。爆音で流れる音楽、ヒンディードラミング、狂い響くクラクション、さながらヒンディーマントラでトランスしている気分になった。
 その後、一日の疲れから眠りにつくも、悪路でバウンドする度に目が覚めた。そして人生で初めてバスのバウンドしたタイミングで自分もバウンドし天井に頭を打つ経験をした。

too much india序章

 旅の最中、ほぼ常食したのではないかと思えるゴビマンチュリアン、バーダーミーからハンピ行き乗り合いバスの経路を教えてくれた店員がいるバーダーミー・マンゴーツリーのワダ、しかたなく飲んでいたブランデーみたいに甘ったるいキングフィッシャーストロングは、この旅路における胃袋の中身を端的に物語っている。

旅をフィードバックする機会はそう多いものではない。たった数日間滞在したインドで出会った全てを愛で包み込めたら・・・too much india…

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